相馬野馬追の由来

相馬家の祖といわれている「平小次郎将門(たいらのこじろうまさかど)」は、一千有余年前、新しい軍事力として馬の活用を考え、下総国葛飾郡小金ヶ原(現在の千葉県北西部)の牧に野生の馬を放牧し、関八州(北関東八ヶ国)の兵を集め、野馬を追い、捕える軍事訓練として、また、捕えた馬を神前に奉じ妙見の祭礼として行ったのが始まりと言われています。
その後、元亨3年(1323年)、相馬氏は、奥州行方郡(現在の南相馬市)に移り住んでからも、代々の相馬領主が、明治維新までこの行事を連綿と続けたのです。
明治維新の廃藩置県により中村藩がなくなり、野馬追原の野馬も全て捕獲されたことで行事が開催できなくなりました。しかし、太田神社の祭礼として生まれ変わり、その後小高・中村神社を加え、三神社合同の祭礼となり、昭和53年には、国の重要無形民俗文化財に指定されました。


東日本大震災からの復活

相馬野馬追は、東日本大震災直後には開催が危ぶまれ、継続が困難だと思われた時期がありました。しかし、野馬追に携わる市民の力によって、震災の年にも規模を縮小して開催され、今では震災前とほぼ同規模となっています。
更に、市内の居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除されたことから、震災前まで小高区で開催されていた「火の祭」が復活しました。


相馬野馬追の主な見どころ

【出陣】(1日目)

出陣式は、相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社の各妙見神社で行われます。参拝と祝杯が行われ、軍者の振旗を合図に螺が高らかに吹かれ、出陣します。

【総大将お迎え】(1日目)

北郷陣屋では、副大将を中心に、侍大将、副軍師がそろい、軍者をはじめとする各役付武者や螺役などが整列して総大将をお迎えします。

【お行列】(2日目)

午前9時30分、集結した騎馬隊は、陣螺陣太鼓が鳴り響き号砲の花火を合図に、約3キロ先の雲雀ヶ原祭場地へと繰り出します。
先祖伝来の甲冑に身を固めた500余騎の騎馬武者が居並ぶ豪華絢爛な戦国絵巻は、まさに、動く文化財展の様です。

【甲冑競馬】(2日目)

雲雀ヶ原祭場地では、正午、陣螺、陣太鼓が鳴り響くと、白鉢巻を締めた若武者が、先祖伝来の旗指し物をなびかせ、人馬一体となり風を切り疾走する甲冑競馬が開始されます。






【神旗争奪戦】(2日目)

午後1時、山頂の本陣から戦闘開始の陣螺が鳴り渡ると、騎馬武者たちが、雲雀ヶ原一面に広がります。
天空高く打ち上げられた花火が炸裂し、二本の御神旗がゆっくり舞い下りてくると、数百騎の騎馬武者がこの旗を目指し駆け出し、勇猛果敢に奪い合い、祭りは最高潮に達します。

【野馬懸】(3日目)

相馬小高神社で行われる野馬懸は、昔の名残をとどめている唯一の神事です。騎馬武者数十騎が裸馬を境内に設けた竹矢来に追い込み、白鉢巻に白装束をつけた御小人と呼ばれる者たちが、多くの馬の中からおぼし召しにかなう荒駒を素手で捕え神前に奉納するという古式にそった行事です。

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